1998年。それは韓国にとって(実際は前年から全アジア的に「アジア通貨危機」として)未曾有の大不況が人々を圧迫していた年だった。不良債権を抱えて経済界はにっちもさっちもいかない状況になり、平たく言えば国が倒産寸前まで行っていたため、 IMF(国際通貨基金)が介入して建て直しを図ったという、所謂「IMF時代」である。

 全社会的に大打撃を受けている最中、音楽業界だけが平穏だったわけでは勿論なくて、韓国の音盤(CD、カセットテープ、レコード)の流通に絶対的な権限を持っていた問屋業界で倒産が相次ぎ、大手音盤会社が行き詰まって直営ショップが姿を消した。新譜を制作するよりも過去の音源を利用したコンピレーション盤が流行し、この危機をみんなで乗り越えよう的なプロジェクト盤もいくつか制作された。
 ただ、そんなIMF時代真っ最中とはいえ、音盤全体の売れ行きが大幅に激減した…というわけではあまりなく、むしろ人々は外出しないで家でCDを聴いていたのではないかとすら思えた状況ではあった。つまり販売実数はともかく、活気だけはあったのである。歌謡界はティーンエイジアイドルの全盛期。因みにCountry Kko Kkoの同時期(やや広範囲)デビューはFin.KL、DIVA、太四子、Bijou、Eve、神話などがいる。

 実はこの1集の正確な販売量ははっきりわからない。音楽賞「ゴールデンディスク大賞」を主催する、韓国音盤産業協会が一般にその数値をネットに公開するようになったのは1999年からだからだ(1992年より公表はしている)。客観的・相対的に見て1集を遙かに凌いで売れた筈の2集・3集ですら30万枚弱なので、1集はおそらく10万行ったかどうか…かもしれない。

 だが、彼等のデビュー年における活躍はアルバム販売量だけでは語れない。この頃、不景気以外に口パク問題などでTVの歌番組は大幅に縮小され、歌手が活躍する場も減少したわけだが、彼等が積極的に起用されたのはバラエティ番組だった。2008年現在でこそそれは当たり前の活動であるが、当時は今よりも歌手・俳優・タレントの棲み分けがハッキリしていたので、バラエティに体当たりで笑いを取る歌手というのはあまりいなかった。
 絶妙のコンビネーションで場をわかせる彼等の話術は、瞬く間に何本ものレギュラーとコーナーMCの座を獲得した。本業の歌でもSBS(ソウル放送)の「人気歌謡」では「OH! Happy」「ノエゲ ナルル」が上位にランクイン。だからというわけではないが特にSBSではなにかと重用され、年末のソウル音楽賞では「人気賞」を獲得した。二人揃って出演し、主題歌も担当した唯一のドラマ(シチュエイションコメディ)「ナ オッテ?」(共演/チェ・チャンミン、ソン・ヘギョ、チョ・ヘリョン、ソン・ウニ他)もSBSである。

 コメディアンを多数起用したパーティのようなMV、支離滅裂だが面白い歌詞、コミカルなダンスと曲調…の「Oh! Happy」とバラエティでの活躍で、Country Kko KkoはIMF時代を明るくするコンビ、との称号を得た。結果的に、ややマニアックに制作された1集は正当な音楽的評価をされたとは決して言い難く、2集以降の音楽性ははあっさり路線変更していくわけだが、その後10年の彼等二人の立ち位置は、まさにこの98年に決定した。後に途中でそれぞれが活動内容に葛藤を抱える時期もやってくるが、それはまた別の話である。