<ROO'RA(Roots of Reggae)>
<絶版>
1994.5

 最近の韓国もその傾向が残っているが、90年代半ばの音楽界は、とにかくなんでも流行ったモノに右へならえ、の傾向があった。94年のそれはいわゆるレゲエブームというやつで、猫も杓子もアルバムにレゲエ(風)の曲を入れるのがお約束だったのである。
 その中で、同時期にデビューしたダンスグループ二つが頭ひとつ飛び出して注目された。構成も同じ、男3女1の4人。年齢も22歳前後で似通っていた。Roo'RaとTWOTWOである。
 Roo'RaはRoots of Raggaeの略だけあり、アルバムの中はレゲエリズムの曲ばかり。リーダー、イー・サンミンのがなるようなラップは、その後延々と韓国ポップス界に受け継がれてゆくこととなる。
 デビュー曲は「100日ッチェ マンナ」。韓国ではなんにつけ100日目、というのが第一の記念日だ。歌詞の中身は、つきあいが100日になる記念に恋人にプレゼントを贈ろうとする男の気持ちをツラツラ歌うモノで、音もジャケットも非常にチープなのだが、ちょっと変なラップとダンスでヒットした。
 Roo'Raが最初に注目されたのは、デビュー曲ではなく同アルバム収録の「ネガ チャモットゥヌン イユ」という最初から最後まで泣きながらラップをする曲である。TWOTWOが正統歌謡ポップス+流行ってるから…のレゲエ風味、だったのに比べると、Roo'Raはオレ達はレゲエ好きなんだよね感を含む、ややひねくれたマニアックな感じがあった。が、当時はTWOTWOと人気を二分し、どちらがより人気が高い、というほどではなかったと思う。私はどちらかというと…TWOTWO派だった。
 この2組は、94年に共同で「Roo'RaとTWOTWOのクリスマス」というキャロル盤を作っている(別項参照)。これは翌95年にも再発売されたが、そのときは既に両グループとも、メンバーチェンジが行われていた。

 シン・ジョンファンはラッパーとしてはイー・サンミン、コ・ヨンウクの次席だった。現在Country Kko Kkoのネタともなっているが、彼のラップ部分はそんなに多くない。だが、彼は当時の振り付けは全て担当していたダンサーだった。そして歌部分の彼のパートは結構多い。
 Roo'Raは歌部分を完全に女子ボーカル=キム・ジヒョンに頼っていたので、男子メンバーの歌はほんとうにたいしたことがない。それは結局解散まで克服できず、キム・ジヒョンとチェ・リナのツインボーカルへと移行し、ジヒョン脱退後はリナにすべて頼ることになる。

 正直なところ、私はRoo'Raの音楽があまり好きではなくて、アルバムも持っていてもそんなに聴かずに何年も過ごした。だがこの1集だけは通勤途中などに何度も聴いていた。Roots of Raggae、その言葉が一番合うのもやはりこのアルバムで、元々はこういうことを目指してたんだな、というのがわかる作品でもある。
(2000年記述・2008年加筆訂正)